今日の気づき 責任転嫁という便利機能

今日の気づきは

責任転嫁という便利機能を使い続けた自分とそれでは何も問題は解決しないと解った自分について

長いので2部構成にしよう。

今回はその1

責任転嫁という表現で正しいのかどうかは不明。責任を他に求めていた自分のこと。

今更ながら気付くこと。

自分にとって不利な状況になった時や、思い通りにいかなかった出来事はたくさんあった。

子供の頃母が「それはダメ、こっちにしなさい」とか、「そんなの無理に決まってる。やめときなさい。」などなど沢山の否定的な言葉で止められた。もっと酷かった。

それが積もり積もって私は自分で行動できなくなった。母が悪い。母のせいだ。

と思っていた。

責任転嫁だね。

何故そうしたのかというと、人のせいにする方が楽だから。それに尽きる。

自分の責任だと分かると自分で考えたり工夫したりする必要があるから。

要は、自分のことが自分できちんと責任を取ることができない人間になっていた。

知らないうちに。

最近まできづかなかった。何ということ。

お恥ずかしい。

何となく生きていた私。

自分の人生だよ。自覚してなかったのか?

気付くまでに時間がかかりすぎてる。

でも気づけた。よかった。今から軌道修正開始。

人の感情をそのまま受け取ってしまう私は、自分の感情なのか他人の感情なのか分からなくなることが多く混乱してしまい、迷いに迷う。最近エンパスというワードに出会う。

私、それかな?

思考がグルグルになって疲れてしまう。

そしてもうどうでもいいや。と諦める。

今これを書いている時点で、自分を振り返ってみるとかなり笑える。

もっと早く気づけよ。

でもそれが私なので付き合うしかない。

この先責任転嫁はやめて自分でどうしていくのかを自分に問う事をしていこう。

まあ、死ぬ前に気づいてよかった。と思う。

一つ前進。

次回は、責任転嫁することなく自己責任で生きていくとどのような変化が起こっていくのか?について…書こうかな?

続く